[オロナイン軟膏]日本のお母さんへ・・・魔法のクリーム

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オロナイン軟膏は、一家に1つはありました。

私の家では、訪問で定期的に来る薬局?の人が訪問販売していました。この習慣は、家庭の薬箱、常時欠かせない緊急時の薬として戦後定着したいました。薬局に行けば買えるのに、なぜ訪問でわざわざ購入するのか?不思議でした。越中富山の薬売りと北陸の製薬会社歴史は江戸にさかのぼりますからね。元々は漢方薬の研究を経たのだと思います。日本人の研究熱心さは、ノーベル賞をいくつも受賞するなど優秀ですからね。

今回は北陸ではないのですが、四国発の代表的な医薬品オロナイン軟膏をお届け致します。子供の頃、お腹が減っていて、見つけたオロナインを舐めた経験があります。当然甘くもなく、不思議な味だったのは鮮明に覚えています。そしてしっかり親に叱られたのも覚えています。身近にあって、肌につけるとヌルヌルとしてケガしたところに塗ると、次の日は治っていたという経験をしたことはありませんか?それがオロナイン軟膏でした。母は台所仕事や炊事で、肌が荒れていました。そんな時、寝る前によく、オロナイン軟膏を塗っていました。

そんな母の思い出もある塗り薬は、日本のお母さんの必需品でした。1953年に徳島県で誕生したオロナイン軟膏のお話。「ヤカンに触ってやけどした~」
「オロナイン、塗っときなさい」
「転んで擦りむいたぁ」
「薬箱にオロナインがあるでしょ」
生傷の絶えない子供のころ、耳にしたことがある会話ではないでしょうか。そんな家庭の薬「オロナイン軟膏」は、徳島県鳴門の小さな製薬工場で生まれました。

大塚武三郎が1921(大正10)年に創立した大塚製薬工場は、戦前は、鳴門の塩業から出る苦汁(にがり)を使った製薬原料を作っていました。終戦後、原料だけでなく自社でも製品を作ろうと医療用の注射液の製造販売を始め、朝鮮特需に乗って規模拡大を果たすこととなりました。が、主力商品が注射液や蒸留水だけでは、特需が去った後、経営が厳しくなるのは誰の目にも明らか。

父の会社に11番目の社員として入社し、1947(昭和22)年に経営を引き継いでいた大塚正士(まさひと)が製品開発に頭を悩ませていたころ、三井物産からある話が舞い込みました。アメリカのオロナイトケミカル社が新しい殺菌消毒剤を開発した、これを使ってみないか?・・・。

さて、これを何に使うか?正士が目を付けたのが軟膏でした。当時、メンソレータムやメンタム、ペニシリン軟膏といった大衆薬がヒット商品となっており、この分野なら安定した売れ行きが期待できると考えたからです。早速、徳島大学の3人の教授に製品開発を依頼。新製品は1952(昭和27)年に完成し、翌1953年には発売にこぎつけました。待望のオリジナル製品第1号は、原材料メーカーの社名から「オロナイン軟膏」と命名。

「オロナイン軟膏」の知名度アップのため、宣伝カーを使って全国行脚を行う。企業と大学――今で言う産学協同で開発した「オロナイン軟膏」ですが、製薬大手の製品と違って知名度がありません。そこで、とにかく製品を知ってもらおう、使ってもらおうと、さまざまな販売促進活動を展開しました。例えば、発売されたその年には、看護婦さんを対象にした「ミス・ナースコンテスト」を、病院向けの情報誌『大塚薬報』で告知して実施。翌年からは、当時としては珍しかった宣伝カーを使って全国行脚。

また、最初の1年は、社長自ら毎月26日間出張し、全国の主要病院を回ったということからも、大衆薬分野での初の自社開発製品にかける意気込みが分かります。徐々に売り上げを伸ばしていった「オロナイン軟膏」ですが、月商3000万円に届いたところで頭打ちになってしまいました。「においが気になる」といった不評も
聞こえてきました。

においを消すための製品改良、そして当時の売り上げを上回る大金を投じてのサンプリング作戦が功を奏し、
1957(昭和32)年以降、「オロナイン軟膏」は再び勢いを取り戻しました。正士いわく「最高の宣伝は現物の使用。たった1回の使用でも10回の宣伝より効果がある」。それは、ピンチをチャンスに変える一手でした。病院向けの販促、宣伝カー、サンプリングに加え、メディアを使った宣伝活動にも積極的でした。

また、「オロナイン軟膏」の発売年、1953年はテレビ放送が始まった年でもありました。初期のテレビコマーシャルは、番組の中で出演者が宣伝をしてしまう、いわゆる「生CM」。大塚製薬では、1959(昭和34)年の
大村崑氏主演「とんま天狗」を皮切りに、松山容子氏の「琴姫七変化」、渋谷天外・中村メイコ両氏の「うちのママ姉ちゃん」といった番組提供や、浪花千栄子氏、香山美子氏、名取裕子氏らを
起用したCMを打ちました。

そして、1963(昭和38)年からは、全国でホーロー看板を貼り出しました。これは営業マンにノルマとして課せられたものです。今ではマニアがプレミア付きで集めるコレクターズアイテムとなっています。ちなみに、ホーロー看板に登場し、後にテレビCMのキャラクターともなる浪花千栄子氏の本名は、南口キクノ(なんこう きくの)。本名を知った人が、後で思わずニヤリとするタレント起用でした。

名取裕子出演のテレビCM「ここでもお役に立ってます」「日本の手は知っています」のシリーズは14年間もの長きにわたって放映され、現在の消費者に深く浸透しています。

「オロナインH軟膏」は11gチューブ入り、50gチューブ入りのほか、30g、100g、250g瓶入りをラインナップ。【効能・効果】にきび、吹出物、はたけ、やけど(かるいもの)、ひび、しもやけ、あかぎれ、きず、水虫(じゅくじゅくしていないもの)、たむし、いんきん、しらくも

発売から50年以上が経過した「オロナイン軟膏」。残念ながら、発売当初のパッケージは残っていませんが、デザイン的にはほとんど変わっていません。オロナインに限らず、大塚製薬の製品は発売当初のイメージを守り続けることが多い。それは売っている本人は見飽きてしまうかもしれないが、安易に製品イメージを変えたら、お客様が分からなくなってしまうという考えからです。

一方、製品名は、当初の「オロナイン軟膏」から、1969(昭和44)年に「オロナインD軟膏」、1972(昭和47)年に「オロナインH軟膏」と変わっていますが、これは主剤の違いによるもの。「オロナインH軟膏「H」は、主剤であるクロルヘキシジングルコン酸塩液の「ヘキシジン」に由来します。オロナインは、子供の擦り傷や切り傷、お母さんのひび、あかぎれ、お父さんの水虫、ティーンエージャーのニキビなどに使われてきました。そして、おばあちゃんからお母さんへ、お母さんから子供たちへ、家族のヒストリーがオロナインのヒストリーを作り続けています。そんなわけで、今回はオロナイン軟膏の誕生秘話でした。日本の風土にあったオロナイン軟膏は日本のおかあさんの味方でした。

 

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