ブッタから学ぶ、自己啓発とは?

仏教の創始者ブッタの教えを土台に
どんな悩みも解決するシンプルな
方法をご紹介していきます。

ブッダの真理の言葉 第1章~第26章 通読

今日ご紹介する考え方及び方法は、
およそ2500年以上前にインドに
ブッタたが解いていたものになります。

その教えは2500年以上、前のものとは
いえ、人間の本質をものの見事に捉えている
がゆえにこの現代社会においても
全く色褪せることなく利用することが
できるのです。

ありとあらゆる悩みの正体と悩みが
生まれて消える。
根本的な理由、そしていかに対処して
いけばよいのか?という実践的な知識
までもブッタから学ぶことができます。

今後どんな悩みを感じたとしても、
その悩みに心を締め付けられる状態から
一瞬で抜け出し、ほっと安心している時の
ような居心地のよい気持ちをずっと
持つことができるようになります。

悩みとはいったい何なのか?
ブッタは言った中の重要な言葉を
ご紹介して、人間が人生で直面する悩みを
大きく4つに分類しました。

それを簡単に説明すると、
1 生活することに対する悩み
2 歳を取ることに対する悩み
3 病気してしまうことに対する悩み
4 死ぬことに対する悩み
5 嫌いな相手に対する悩み
6 愛する人と別れることに対する悩み
7 欲しいものが手に入らないことに
  対する悩み
8 ままならない人間の心に対する悩み
です。
そしてブッタはこれら8つの悩みの正体を
端的に一つの単語で表現しました。

その単語とは執着です。
執着とはあるものことに、強くひかれ
深く思い込んで、どうしても忘れきれない
という心の状態のことです。

そしてまさにこの執着こそがありと
あらゆる悩みの正体であると言います。

それに加えて、この執着のことを別の
言葉で言い換えるならば、それは心の
反応であるともしています。

つまり悩みとは、人それぞれ色々なも
のがありますが、その正体を探って
いくと必ず何かに対する執着であることが
わかり、そしてこの執着とは言い換える
ならば、心の反応という人間の精神活動の
産物に過ぎないというわけです。

となると心の反応さえなくすことが
あらゆる悩みをなくすことができる
ことがわかります。

いったい、心の反応はどのようになく
すことができるのでしょうか?

心の反応とはブッタは人間の心が
反応してしまう理由を、
「人間には生まれながらに喜びを求めて
やまない、求め続ける心があるからだ」
としています。

見方を変えるならば、この求め続ける心とは
人間の生命エネルギーの根源そのもの
でもあり、求め続ける心があるから
人間は生きていけるとも言えます。

しかし、この求め続ける心は、そこから
転じて7つの欲求を生み出していきます。
それらは生存欲、睡眠欲、食欲、性欲、
生存欲、怠惰欲、感楽欲、承認欲
の7つです。

これら7つの欲求に突き動かされ人の心は、
常に反応を続け、時には欲求が満たされ、
喜び時には欲求が満たされずに不満を
感じるというサイクルが人間の人生を
通じてずっと続くわけです。

しかし、人間の心が求め続けるという性質
である以上、仮に欲求が満たされたと
しても、その瞬間からまた新たに求めて
しまうため、結局のところ常に不満な状態に
いるということになります。

そしてこの状態こそが悩みに苦しめられて
いるという状態なのです。

先ほど心の反応を無くせば悩みも消えると
言いましたが、人間がそもそも求め続ける
生き物であるならば、心の反応などなくす
ことはできません。

そこでブッタは「心の反応をなくすことは
できないが、悩みに繋がるような無駄な
心の反応ならなくすことができる」と
言いました。

それでは一体どうすれば?
悩みに繋がるような無駄な心の反応を
なくすことができるのでしょうか?

悩みに繋がる心の不の連鎖を断ち切る
方法とは?これから悩みに繋がるような
無駄な心の日本の解説していきます。

その大前提として、まず求め続けてしまう
人間の心のことを心とはそういうものなのだ。
とそのままに理解する必要があります。

もしも、そうした求め続ける心の性質を
実感しないまま求め続ける心に反応し
続けてしまうと、先ほどにも述べたように
いつまでも決して満たされることのない
欲求に駆られ、次から次へと変化を求め
続ける人生になってしまいます。

そんな人生は蜃気楼の先にあり、ありも
しないオアシスを追いかけ続け苦しみ
続けるような人生です。

ブッタはそんな人生は不合理で不条理であり
人間はもっとそんな虚しい人生ではなく
喜びに満ちた幸せな人生を歩めるはずで
あるといいます。

そのためにもまずは求め続けてしまう。
心に自分自身を振り回されないように
しなくてはいけません。

その方法はこれから説明する
3つのステップで可能になります。
1 心の状態を言葉で確認する心理学用語
ではこのことをラベリングと言います。
ラベリングとは今の心の状態を
言語化し、自分から離れたところで
見ることを可能にする方法です。

例えば、私はイライラしている。
私は今どうしたらいいかわからず
混乱してしまっている。
私の心は今ざわざわしているというように

ラベリングには、良いラビリングも
悪いラベリングもなく、とにかく自分なりに
今の心の状態を言葉に置き換えてみます。

そうすることで反応してしまう心と
一体化せず、ずっと不満を感じ続ける
という負のサイクルから抜け出すことが
できます。

2 心の外側へ焦点を移す。
悩みとは、いつも心の内側にあるものです。
意識の焦点が心の内側にある限り、
やはり反応してしまう心と一体化して
しまい、どうしても負のサイクルから
抜け出せません。そこで効果的なのが
意識の焦点を心の内側から心の
外側へ向けるということです。

一番身近で簡単なのは手足の感覚や、
呼吸といった身体感覚に集中すること
です。

また外を散歩して自転車に乗ってくる。
草花の匂いに集中したり、雲の動きや
鳥の動きに集中するのも効果的です。

さらに筋トレは最強のソリューションと
言われますが、まさに筋トレも全集中力を
筋肉に向けるものであり、その意味で
この反応の負のサイクルから抜け出す
効果的な方法です。

3 頭の中を分類する。
次に自分が今悩まされている。求める心を
分類するようにします。

仏教では求める心は、大きく3つに
分類可能であるとしています。

それらは 
1 貪欲、過剰な欲求に駆られている。
状態に怒り、不満や使いに対して、怒りを
感じている。妄想、貪欲でも光でも
なくただ漠然とモヤモヤしている状態の
3つです。

ちなみに仏教ではこの3つを貪瞋痴といい
単独という乗り越えるべき事柄であると
しています。

そして、無駄な心の反応をなくすというのは、
つまりどういうことなのかというと、
ステップ1,2,3を通じて、
自分の心の状態を主観抜きの、
中立的な立場で、ただただ観察する
ことを意味しています。

つまりステップ1,2,3を行ったとしても
それに対していちいち反応していては、
本末転倒であり、ただただあたかも
他人ごとのように観察を続けなくては
いけないということです。

このように心の反応に振り回されずに、
それをそのままありのままに見ることを
仏教では正しい理解という意味の正体と
言います。

この焦点ができるようになれば、
心の連鎖的な反応もなければ、同情もなく
悩みに発展するような無駄な反応による
負のサイクルを断ち切ることができる
ようになるのです。

約2500年前に生きた仏教の創始者ブッダの
教えを土台に、どうすれば人生の中で
苦しめられる悩みから、解放されるのか?
という方法を解説してきました。

悩みから解放される理屈、及び方法を
まとめます。悩みとは、姿形は違えども
その正体は執着です。

執着とは心の精神活動の産物です。
この心の反応というものは、
求め続ける心を、人間がそもそも根本的な
ところで持っていることが理由で、
どうしても発生してしまいます。

しかし求め続けるというその性質ゆえに、
満足することは決してなく、常に不満足な
状態になってしまいます。

ブッタはそうした求め続ける心に、
「いちいち反応を続けてもそこにメリット
はなく、合理的に考えて求め続ける
心に振り回されることからは、
さっさと自分自身を解放するべきである」
と言います。

そのための、具体的な方法として
1 心の状態に名前をつけて自分から切り離す。
2 心の内側から外側へと意識の焦点をずらす。
3 求める心の正体を貪、欲、怒り、妄想の
  3つに分類する。

この3ステップを行い、自分の中で
沸き起こる心の反応をあたかも
他人ごとのように観察することで
求め続けて反応してしまうという
負の連鎖に陥らないようにします。

こうすることで悩みに繋がるような
心の反応の負の連鎖をその最初の部分で
断ち切ることができ結果として悩みから
解放されるようになるというわけです

この方法は理屈で納得できたとしても、
なかなかすぐには実践して、悩みから
解放されるというのは難しいかと思います。

そのためまずは紹介したステップ1
ステップ2、ステップ3のどれか、
今すぐできそうなことを採用してみて
悩みやストレスなどに、心を締め付けられた
時に是非実践してみてください。

実践してみることで、思っていた
以上に心がほっと楽になることが
実感できるかと思います。

最後までありがとうございました。

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