【障がい者】のいる現実 2

社会

なぜナオコさんを強く意識したか?友人の娘が水頭症の子を出産したからだ。妊娠時にすでのお腹の子は障がい者だとわかっていた。だから医師は堕胎を勧めた。しかしそれを断り出産した。友人は日系ブラジル人女性と結婚してブラジルに渡った。月日は流れ、長女の妊娠と出産を経験した。友人は「自分が治して見せる」という根拠のない自信を持っていた。友人は自分には気があるという自負を持ち、それが病気治療できると確信していたのだ。その信憑性は本人にしかわからない。

日本にも何度か帰国していたので、久しぶりに逢って積る話をしたのだ。そして水頭症の孫の画像を見せるのだ。友人は私にこの子はかわいいねとでも言ってもらいたいのだろうか?水頭症の子を見て、悲惨だねとでも言ってもらいたいのか?同情されたいのか?もしくは、共感してもらいたいのか?いったいなにをしたいのか?という最大の疑問があった。白目をむき出しにした頭の大きな子の画像を見せられてどんな思いを私に答えを反応をみているのだろうか?

私は戸惑った。なぜ障がい者の孫の画像を自慢げに見せるのか?前にも書いた通り私の叔母は障がい者なので、障がい者を見てもなんとも思わないのだ。幸い叔母は五体満足な人なのでぱっと見は障がい者だとわからない。だが、水頭症の子は一目瞭然にわかる。だからちょっと引いてしまった。友人と同じ気持ちになって共感してくれという気持ちがあったのだと思う。

だが私は「ちょっと怖いね」と本音を言うしかなかった。それが友人を傷つけようが、それが思い浮かんだ言葉だった。おせいじを言い合う仲でもないので、本音を言った。だが、友人としては、初孫になる。だからどんな子であってもかわいい。孫をヒーリングしたり、少し動いただけで大喜びするという、到底私では理解できない環境にいる。医者に堕胎を勧められた時、彼は、激怒して反対したと言う。

命を粗末にするなんて許せないと。医者はそういう意味ではなく、今後育てるにあたり、それがどういう未来を家族に与えるのか?という未来を教えていたのだと思う。だから命の尊厳はもちろんだが、障害を持ったまま成長していく障がい者に寄り添い生活していくことができるのか?という問いをしたのだ。友人の娘は出産を選んだのだ。それが幸福とも不幸ともわからないが、友人の娘は水頭症の息子と生きることを選択した。それは家族の賛成もあってのことだ。だから家族中で障がい者の子を見守ることになった。

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