【元カノから学ぶ】人生哲学、コーヒー通の彼女と茶器コレクターの元カノから学ぶ

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少し前から、器に興味を持ち始め、気に入った物を集めています。値段はたいしたことないので、手軽にできる趣味かも知れません。なぜ?器に興味持ったかというと昔付き合っていた彼女の趣味が器でした。その当時、こんなもの?と思っていましたが、今では自分の趣味になっていることになんとなく照れがあります。

コーヒー好きも思い出せば別の彼女の嗜好品でした。コーヒーカップを両手で包み込み、大切そうに飲む至福の表情は、「そんなにいいのか?」と思ったくらいです。彼女は最後まで飲み干さず、少しばかり残すのが常でした。コーヒーを飲んでいる彼女の表情は本当に至福が顔に現れていました。コーヒーを知らない自分には、さっぱり理解できません。しかし、こういう趣向を持てる人と言うのは、人生の深さ、幅が違うのです。人生の意義を潜在的に知っているのです。お酒もそうです。私は下戸でお酒が飲めません。だから、人生を損しているといえるでしょう。皆さんも、人から影響されて趣味は潜在的にあると思いまが、気づいていないだけなのかも知れません。

そんなわけで今の自分の趣味は自分から求めたのではなく、他人から影響をされたということなのです。自分の趣味と堂々と言いたいところですが、昔の彼女の趣味が自分の趣味になりました。なんてとても恥ずかしくて言えません。だけどそ事実はそうなのだから疑う余地はないのです。どうしても見栄をはりますので、それが返って苦痛の原因にもなります。

 

そんなわけで趣味の分析はいいのですが、器の魅力というと皆いろいろです。一般的にきれい。機能的。合理的。美しい曲線。かわいらしい。かっこいい。などなどあります。物の見方はいろいろです。器に関して西洋のものと日本のものを比べた場合ですが、西洋食器はシンプルな美しさがあります。シンプルな中エレガントで洗練されていています。特に信楽焼の黒い武骨で柔らかな器は、日本人という日本を代表する器です。大好きな器です。

エミール・ガレという芸術的なガラス器を造った人がいますが、北海道にある美術館に行きました。ガラスの特徴を生かした数々の作品は素晴らしい物です。熱く溶けたガラスを一瞬の間に美術品に仕上げるテクニックは素晴らしいです。土と違う美的センスがあります。ガラスは触ってみたいが、壊れそう?という印象があります。陶器には、茶器として抹茶を嗜んだ後、両手で器を手で嗜むという喜びがあります。ゴツゴツした土の感触は泥遊びをした記憶がよみがえる感じです。

日本の食器には、わびさびがあります。形の崩れそうな不安定な形。ただ焼いただけの器。はみ出した色と形。この美学の違いこそ、和なのだと思います。和には、苔の美しさを知っています。日本庭園で見る自然に繁殖した苔は美しい。繊細さの中に力と美が混在している文化こそ和なのです。もちろん日本の器もその影響を受けている物もあります。私の好みはいかにも無骨ではみ出して形になる前の形いわゆる 自然が作り出した造形物なのです。

川の上流から石が削られて下流に流れつき、形になっているように。実家が川の近くにあったのでよく川で遊んでいました。デパートに行くと時々作家の器の展示、即売をやっているときがあります。私は足を止めて気に入った物を手に取り、触りまくります。最近気に入った物は、湯のみで形がかわいいのと色がかわいいので買いました。実用品というより、調度品といった感じです。だから箱の中に大切に保管しています。時々箱を開けてはほくそ笑んでいる自分がいます。この奇妙な感覚はなんなんだと思いますが・・・・あまり人には見られたくないシーンではあります。

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