【復讐】平凡な生活、普通の生活を望む親へ・・・

プログ

普通を望む両親たち
私は子供の頃から、親にしょっちゅう「普通にしていればいい」「皆と同じことをすればいい」耳にタコができるくらいふつう信仰の呪文を叩きこまれた結果。最期は両親を裏切る人間になった。今となっては亡き両親に文句も言えず、悶々としている。私の両親への反発とそれが一生の間彼らに復讐として成し遂げたのだ。彼らは孫を見ることができずあの世に旅立った。私を長年呪文によって苦しめられてきた呪文を解き、彼らに復讐した。彼らは普通のまじめな労働者だった。定年まで会社に勤め、悪事をせず、人生を生きてきた模範的人間。親として、なぜ恨まれる理由はわからないだろう。子は親と正反対になるケースが多いが、私もそうだった。不真面目で陰気臭く、葛藤と、暴力と孤独の中を生きていた。それが私の悪夢の青春時代だった。

歳を重ねた私は「彼ら(両親)に積年の恨みを晴らしてやった」の満足感と同時に、底知れぬ絶望と虚無感を持っている。なぜなんだ?復讐は成功したのに「なぜオマエは苦しむのだ?」邪魔する者はこの世から消えたのだ。自由になればいいじゃないか?もう煩わしい彼らはいないのだから、好きなように生きればいいじゃないか?しかし、心の葛藤は激しい戦争のようだ。毎日、彼らの人生を考える。彼らにとって一生とは?私という子の存在はなんだったのか?苦しめられる自分。なぜ彼らに酷い復讐をしたのか?両親は愛情とお金をかけて一生子のためにつらい労働をして成長を見てきた。行事や子供会、運動会、子と一緒に時間を過ごし、わが子の成長をみつめ、ずっと守ってきた。そして子の将来を危惧し、子の社会的成功を願った。

高齢となった両親はその代償として、子の成功を喜びたい。具体的には、良い就職先、良い学校、よい結婚、良い孫を見てきたいのだ。これが普通の感覚だ。子は社会のレールから外れてしまうと、自分はおろか、両親まで不安になり、家族間に不安要素が入り込む。不安と葛藤するあまり、親は子をなじり、ますます子は両親からの圧力に、へきえきするようになる。これがムクムクと食虫植物にように変質していく。他人と自分の子の比較は子をダメにする要素しかない。蓄積すれば、いつか爆発する。その刃が親に向かい、自分に向かう。思い描いた成功人生はそうそう叶わない。現実は甘くない。狂いだした人生設計。

親は自分が成功人生ではなかったから、子に成功してもらいたいとう願望が必死になのだ。。子はその重い期待、十字架を背負うことになる。これが第一の両親への復讐の第一幕だ。過度な期待は子にとって励みにもなるが、行き過ぎた励みは逆恨みになる。これをわからない人が多い。その一つが騒がれている。キラキラネームだろう。読めない漢字を付けたり、無理やり感じをあてはめたり、やたら画数の多い感じを付けたり、子にとっては迷惑でしかない。なぜ今の親はこんなバカなのだろうか?と思う。子の将来を考えれば、特殊性より誰でも認識できる名前のほうがいいに決まっている。あまりにも身勝手で子の将来を考えていない。

いくら希望や願望があるからとはいえ、それが将来の社会生活に影響するかなどと、考えもしない。これは復讐の第二幕。口では「みんな仲良し」と言うが、現実世界では、苛烈な生存競争の原理があり、学校では成績の良し悪しで優劣を付けられる。子はこの現実を知ることになり、親の過剰な期待は返ってマイナスになる。子は期待に添うようにガンバリ続ける。だからいつも緊張してピリピリして、余裕のない子になる。かわいげのない子供(私自身)神経質な子でそれは精神病と言える。たぶん私は精神病だった。いわゆるキレやすい。とか、すべてに過敏になっている。

この状態が見えるので、周りは当たらず触らず距離を置く。これが孤立するキッカケとなり、周りから疎外されるこれが第3幕。今でも・・・私自身はいつもヘルプサインを出していた。ヘルプして救済を求めた。しかし大人は無視をした。それが歪んだ精神構造、親への復讐とつながった。誰か強引に私を構ってほしかった。寂しさの中で孤独を選ぶのは、他者からの攻撃から自分を守るための防衛反応なのだ。それを人は奇人と呼ぶのだ。ラインの仲間外れや、学校に行っても誰も寄り付かないというポッチになる。ポッチだけならまだしも、図に乗ってイジメや暴力をふるう人も出てくる。

群れで行動しなければ安全が確保されない。これがグループ行動からのイジメとなる。グループという弱者の群れが吐き気がするほど、キライだった。集団行動ができない、やりたくない自分がいた。大人たちはコレを注意した。「なぜ?みんなと仲良くできないのか?」「なぜ同じようにできないのか?」「なぜ言った通りやらない?」大人たちは子をコントロールしやすい純粋なバカをよい子と言っていた。普通にやればできると。普通にみんなと一緒に行動すればいいのだと。

 

今振り返ると、大人たちの言っていたことは正しかった。この日本と言う社会では、勤勉な労働者こそ正しいお手本なのだから。勤勉さを失い、普通という道から外れると、他人は厳しい眼を向け、敗者というレッテルを付ける。だから敗者になりたくないから、真面目を装い、会社に従順に生きようとする。それが精神を病む原因だ。滅私奉公を日本では当たり前という風潮があるが、絶対悪でしょ?なぜこれがまかり通るのか?しかし悲しい性というか、これについていこう、はぐれないで行こう。

 

という全体主義行動が負の連鎖を産むのだ。それが自殺なのだ。自分をこの世から消し去り、自分の痕跡を消す。救いのない家庭と、救いのない社会。親の言うとおりにできなかったことへの後悔と反省。社会からはぐれた自分の過去性を思い出し、関わる人々を思い出す。そして一番自分に影響された人物に復讐を願う。そしてその人物が一番嫌がること、悲しむことを実行する。自死が親への復讐なのだ。子は自死することにより、親からの呪文から解放され、自由になることを望む。

 

親は手塩にかけて育てた子を失い、茫然とするだろう。しかし子の状況を理解するには相当な時間が必要だ。彼らは自分は間違っていないという視点から子を見ているからだ。だから、自分は正しい、自分が正論、という間違っ信念を持っている。子にとって迷惑でしかない。例え子と言え、趣味や、思考は別なのだ。そういう傲慢さが子をダメにする。そして将来復讐されるのだ。復讐の根は、積年の恨みが重なったお互いの時間の中にある。肉体が元気な時は子と張り合えるが、病気やケガなどで体力が衰えてくると、子は復讐の機会を狙うようになる。

 

復讐への願望、じわじわと老いる両親をニヤニヤと笑っている自分がいた。やがて病気で何度も入院して衰えていく姿を見て、親への復讐は、自分への復讐だということに気がついた。が時は遅すぎた。すべて時間の記憶とともに消えた。過去が蜃気楼のようにあったことが幻のようだった。親の目はうつろで、悲哀の視線で私を見ていた。その視線からは想像を絶するほどの暗い哀しみがあった。その眼で見られると恐怖を感じた。絶望の視線。親は何も希望しなかった。死んでいく自分のからだを見つめるだけだった。そうして何も語らずあの世へ逝った。私は親に復讐した。私は親に復讐した。私は親に復讐した。・・・・ざまあみろ・・・・ざまあみやがれ・・・ざまあ・・・

 

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